Cupful of Rabbit

きらら作品の感想を主に書いていきます。

【ごちうさ】廻り行く笑顔が生み出すお節介の連続

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まんがタイムきららMAX2018年4月号の「ご注文はうさぎですか?」の感想記事です。

 

【以下ネタバレ注意】

 

まず、チノがチョコ作りを頑張る高校生組にホットチョコレートを渡しに来るシーン。

前のクリスマス回の時にチノは「私はみなさんからたくさんのものを貰っているので、いつかはそれを返せるような人になりたい」みたいな事を言っていましたが、この『ホットチョコレートを渡す』という行為が、まさに「それ」なんですね。

そもそも、「私はみなさんからたくさんのものを貰っているので、いつかはそれを返せるような人になりたい」という言葉がどういう意味かというと、「皆から貰ったものを、貰った分は行動などで皆にしっかりとお礼していきたい」といった言葉通りの意味にはなりますが、それに加え「皆が今後も何か渡してくれるなら、それを受け取るのを拒んだりはしない」という意味も含まれていると思います。

チノは「後片付けしっかりしてくださいね」と冷めた態度で言ってはいますが、これはチョコを渡されることそのものを拒否しているわけではありません。そして何より、それに対しては、言葉でも態度でも遠慮はしていないのです。

更に、高校生組がチョコ作りに苦戦しているところに、チョコ作りの応援として、親愛なる人への感謝として、ホットチョコレートを渡します。

高校生組が何故チョコを作り出したかというと、チノの受験への応援と親愛なる人への感謝というのが理由からだと思います。

高校生組とチノがチョコに込めた気持ちはほぼ同じではないでしょうか。

チノは高校生組が自分に送ってくれた想いつまり自分が貰ったものを、遠慮せずに受け取り、そして、高校生組に気持ちを返しているのです。

 

次に、その後の「最強の息抜きになるスペシャルなチョコを楽しみにしていろ!」「…はい!」について。

これもまた、上に書いた「貰ったものを貰った分返す」を彼女らが実現しているシーンです。

リゼの言っていること自体はただの見栄っ張りなんですよ。進捗自体は、シャロの言った通りお世辞にも順調とは言えません。

何故、リゼはチノに見栄を張ったのか。

先程書きましたが、ホットチョコレートはチノが高校生組に気持ちを伝えるため送ったものです。どのような気持ちかというと、チョコ作りの応援として。

リゼはチノからのエールを受け取った返事をするため、こうして見栄を張ったのだと僕は思います。

普段、友達から「頑張って」と言われたら「頑張れない」と返事をするでしょうか。

チノからの「チョコ作り頑張ってください」に対し、リゼは「正直、順調ではない」なんて不安にさせるような、チノからのエールを台無しにするようなことをしないために、例え見栄っ張りでも立派な返事をしたのです。

彼女らは心から通じ合っていることが伝わってきます。

 

 次は、リゼへのサプライズについてです。

リゼは自身の誕生日がチマメの気を散らせるものだと考え、隠そうとしていたんです。

もちろん、リゼが誕生日を隠そうとしていたことは前のページでも描写されています。P.8の6コマ目では、シャロが「でも、もう一つ大切なイベントが…」とリゼのほうを向きながら話しているのに対し、リゼは「今はチョコに集中だ!」と制するように言っています。

バレンタインというイベントに自身の誕生日を隠し続けてきたこと、これはリゼの「自分のことより、他人を思って」の行動です。

しかし、実はもう一方のリゼ以外のサプライズを仕掛けた側も「自分(たち)のことより、相手(リゼ)を思って」の行動をしているんです。

忙しいときでも、しっかりとリゼの誕生日を祝う。自分たちよりもリゼのことを優先しての行動です。

この流れが、とてもごちうさらしいと感じた方は多いのではないでしょうか。

他人の気を遣った遠慮に自分からお節介を焼きにいく、この流れが。

「自分からお節介を…」は、決して嫌だと思いつつもしょうがなくやったということではなく、自分のためでありそして他人のためなのです。

もし、他人の幸せを心から願い、それを自分の活力にできるような人たちが集まったら…

リゼがチマメの幸せのために遠慮をしていることなんて気にせずに、例えチマメの勉強時間が削られようともリゼが望んでいた素朴なチョコケーキを作る。

遠慮にお節介でもあり、実はお節介にお節介。

そのお節介とは、自分のためでもありながら他人のためにもなる。

そして、その流れは一方的でないので、今度はリゼがお節介に対するお節介を焼くかもしれない。

笑顔が笑顔を生み出す。

彼女たちはそんな輪を完成させています。

(そしてそれを紡ぎ始めたのが主人公ココアというのがまたよい)

 

 

最後に。

僕はごちうさが好きなので、19日が来るたびに「ごちうさやべえ」と言っているのですが、久々に本当に面白い回が来たなと思いました。60コマの枠の中で出来る限りの、話の一番綺麗な見せ方でしょう。

ごちうさの輪の中身の話を上でしたので、もうひとつ輪に関連した話題を書きます。

受験後、チマメは別の道に進みます。チノはココアと同じ高校でマメはお嬢様高校。中学校ではチマメ三人ずっと揃っていられましたが、高校に入ってしまえばそうというわけにもいきません。

しかし、チマメはずっと一緒だということを約束しています。

別の高校なのだから不可能なことに見えますが、実は、別の高校だとしても三人ずっと一緒にいられるような方法はあります。

彼女たちもまた、周りの環境に合わせて変化・進化をすることです。

チマメにとっての新たなステージ(セカイ)へと向かうことになります。

そこで自分たちのよく知った世界に閉じこもったりするのではなく、そこを基点としながら自分たちが未知のセカイに対応することで、セカイを自分の居場所にすることができる。

カフェの扉を大きくするのではなく、カフェの壁を取り払って、カフェそのものを広げていく。セカイをカフェにしていく。

これが、現在のごちうさの輪の「広がり方」です。

今、ごちうさはそれこそ最終話がくるのではないかと思ってしまうほどの大きなターニングポイントにきています。

どの方向に行ってしまうのか不確定なものもありますが、基点がある以上は決して変わらないものだってあります。

そういったものをもう一度振り返り、そして大きな一歩を踏み出す力を蓄えているのかもしれません。

…しかし、振り返っているからといって彼女たちが前を向いていない訳では無いということを忘れないよう、これからも目を凝らして見ていきたいところです。

 

 

感想は以上です。

書きたいこと表せてるか大分不安なのでまた追記編集するかもしれません。

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最後まで閲覧ありがとうございました。